20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その13)『子供たちの死』
雨の中ジェット機はキーンという金属音を出しながら空港を飛び立った。
機体は少し揺れたが雲を抜けると真青な空が見えた。下を見るとどこまでも続く雲海だ。初めて乗ったジェット機、初めて見る風景、僕は凄く興奮した。
やがて機首が下がりだした。どうやら九州に近づいたらしい。
ガタガタ!ガタガタ!!雲の下に出た途端機体が激しく揺れだした。やっぱり九州付近はかなり天候が悪いらしい。
「猫ちゃん、大丈夫やろか?」とamaguriさんは自分の事よりみよ子達の心配をしていた。
「心配いらん、もう先に着いてるはずや‥」そう言ったものの内心僕も心配だった。
なんとかジェット機は無事着陸。僕たちは急いでみよ子達が預けられている事務所に向かった。
「いたいた!」いくつかのケージに入れられて、おとなしくしているみよ子達がいた。みんな僕たちを見るとホットしたのか、ニャーニャーと泣き出した。僕たちは手続きを済ませトランクにみよ子達を入れてロビーに行くとamaguriさんのお姉さん夫婦が待っていてくれた。早速車でamaguriさんのお姉さん夫婦の所へ向かった。
お姉さん夫婦は大の猫好き、特にご主人の方は「みよ子~、たくろう~」と言ってすごく可愛がってくれた。
「よかったね」僕たちはとても幸せそうなみよ子とたくろうを見ながら目を細めた。
みよ子とたくろうはそのままお姉さん夫婦に預かってもらう事になった。
後日談だが、ご主人が家でカラオケをするときもみよ子を抱きながら歌うほどの溺愛ぶりだった。
一方子供たちは一人暮らしのお母さんとamaguriさんと一緒に暮らす事になった。僕は仕事があるので2~3日滞在して慌しく帰った。
amaguriさんの実家の前の国道は通称ダンプ街道と呼ばれるほどダンプカーや大型トラックの通行が多かった。amaguriさんの心配をよそに子供たちは毎日元気に外で遊んでいたがやがてトシゾウ君が続いてハンペン君が居なくなってしまった。
「交通事故にでもあったんやろか?‥」それ以後2匹の子供たちは戻って来る事は無かった。
「amaguriちゃん!amaguriちゃん!」慌てた様子で近所のおばちゃんが走ってきた。
「おばちゃん、何かあったん?」
「白い猫が道路で車に引かれて死んどると、amaguriちゃんとこの猫やないと!」
「えっ!」
amaguriさんは慌ててその場所に走って行きました。
「シンちゃん‥」それは間違いなく、みよ子の子供のシンサク君でした。最後に残っていた子供です。amaguriさんはシンサク君を抱いて家に帰りました。

家に着くとお母さんが言いました
「そのままじゃ可哀相だから早く埋めてやりなさい」
「だって、まだ温かいし‥」そうシンサク君の身体はまだ温かくそれほど出血はしていませんでした、でも心臓の鼓動は聞こえず息もしていませんでした。シンサク君が死んでいるのはamaguriさんが一番わかっていた事でした。
「みんなこんな風に死んだんやろか‥連れてこんといたらよかった‥」amaguriさんはシンサク君を埋葬しながら悲しくて、悲しくて、涙が止まりませんでした。
まだまだ続く‥‥
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その12)『みよ子とたくろう一家、ジェット機に乗る』
空港までみよ子達を連れて行くのに電車では大変だ。
「やっぱり、タクシーかな?お金掛かるなー」
正直言ってタクシーなんて今までほとんど乗る機会が無かったので、空港まで幾ら掛かるか想像も付かない。とにかくタクシーで行く事に決定したが、みよ子達を入れる入れ物が無い。
ペット用の入れ物は一つしか無い。とにかく家中を探して用意したのは、籐で編んだトランク2個だ。
トランクには子供達3匹とたくろう 、ペット用の入れ物にはみよ子を、入れる事にした。
電話で予約したタクシーがやってきた。僕は後ろの席にトランクを積み込み前の席にはみよ子とamaguriさんが乗った。
やがてタクシーが空港へ向けて走り出した。しばらくするとトランクから猫ちゃんの鳴く声がした、するとタクシーの運転手さんがこう言った。
「猫ちゃんですか?そんな狭い所じゃ可哀相ですから外に出してもいいですよ」
「迷惑がかかるから、このままでいいですよ」と僕、
「遠慮しなくてもいいですよ、出してやってください。僕も猫が大好きですから」
「じゃ、悪いですけど出しますね」そう言って僕はトランクのフタを開けた。
ゾロゾロ‥、たくろうと子供達がトランクから出てきた。案外とおとなしい、ただ一匹だけ人間の子供が遠足に行った時のようにはしゃいでいるのがいる。それはトシゾウだ。後ろの席から前の席までいったり来たり、おおはしゃぎだ。
でもそんな冒険も長くは続かなかった。前の座席に両手をかけて、後の席に居る僕の顔を見ながら口を開けよだれを垂らしている。車に酔っているのだ。僕は思わず噴出してしまった。
ワア!ワア!言っているまにタクシーが空港に着いた。僕たちは親切な運転手さんにお礼を言って空港のロビーに向かった。
搭乗手続きの時、係りのお姉さんからビックリする説明が二つあった。一つは九州方面の天候が悪く場合によっては他の空港に着陸するかもしれない。という事と猫ちゃん達は僕たちと同じ飛行機じゃなく、貨物用の飛行機で運搬するという事だ。
その説明に僕たちはすごく驚いた、しかしここまできたら引き返せない、しぶしぶ了承し手続きは済んだ。

猫ちゃん達とは別々の便、しかも向かうところは悪天候。僕も初めてのジェット機の旅。無事目的地に着いて猫ちゃん達と再会出来るか?沢山の不安を抱えてジェット機は九州に飛び立つのでした。
次回にまだまだ続く‥
ミッフィーが天国に行きました。
2度の危篤を脱してしばらく元気にしていた、ミッフィーが2009年1月23日午後3時に永遠の眠りにつきました。もう15~6歳のおばあさん猫でした。
今回はamaguriさんも側に居て最後を看取りました。
ここ1週間は何も口にせず、amaguriさんがスポイドで飲ませるわずかな水と流動食を口にするだけでした。
何度か死の淵から這い上がり、懸命に生きようとした姿にわずかな希望を抱きamaguriさんは動かなくなったミッフィーを暖めていたそうですが、だんだんミッフィーの身体が冷たくそして硬くなっていった事で遂にミッフィーの死を受け入れたそうです。
苦しまず死んでいったミッフィー。それが救いです。
amaguriさんも精一杯生きたミッフィーの死に悲しくは無いと言っていました。
ミッフィーの関連記事。
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その11)『嬉しい知らせ』
「ジリリーン、ジリリーン」
ある日amaguriさんに電話がかかってきた。どうやら田舎の一番上のお姉さんからの電話らしい。何だか楽しそうに話している。どうやら赤ちゃんを実家の方に帰って産むらしい。時々そんな内容の話が聞こえる。
「ありがとう、また日程が決まったら電話するね」そう言ってamaguriさんは電話を切った。そして僕の方に嬉しそうな顔をしながらかけ寄って来た。
「あのねjyoji-san、私ね実家で出産する事にするねん。でね、お姉ちゃんがその時、ネコちゃん達も連れてきなさいって!。みーんな預かってやるって!」
「本当にー!」僕はビックリしてしまった。amaguriさんも実家の方に相談していたみたいだ。
「まだ、出産には早いけどネコちゃん達を連れておいでって言ってくれったんよ。だからなるべく早く行こうと思うねん」。良かったー、何はともあれ、これでネコちゃん達の事は一安心だ。思わずamaguriさんはみよ子を抱き上げほおずりをした。

amaguriさんの実家は九州だ。
「九州へどうやって行こう、船?それじゃあ時間がかかりすぎるな、やっぱり飛行機だな」
「よーし。みよ子!たくろう!トシゾウ!ハンペン!シンサク!みんなでジェット機に乗って九州に行くぞー!」僕達はそう言いながら、みんなを抱き上げた。
しかし僕たちは嬉しさのあまり、沢山のネコちゃん達をジェット機に乗せて移動する大変さに、まだ気付かなかったのでした。
次回に続く‥
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その10)『溢れる涙』
沢山の猫を飼っても良いという物件は現在でもなかなか見つけるのが難しいが、当時はほとんど無いといってもいいぐらいだ。
有るとすれば一軒家の借家ぐらいで、とても僕たちが借りれるほど安くは無かった。
「親父に相談してくる」amaguriさんにそう言って僕は実家の方に足を運んだ。『淡い希望』だが借家を借りる資金を援助してもらうつもりだ。最悪、しばらく猫を預かってもらえないか?そういう話をするつもりだ。
『淡い希望』それは実家もそんなに裕福ではないからだ、どちらかと言うと貧乏だ。
僕は親父に言った。大家の言葉、猫の事、やっと探した借家の事、お金を借りたい事、だめだったら、せめてしばらくの間猫を預かってくれないかと。
親父は一通り話を聞いてこう僕に言った。
「猫を捨てたらその家に住み続けられるんだろ?だったらそうしろ!」僕が想像していた通りの言葉だった。僕が小さい頃飼っていた猫がケガをした時、僕にその猫を捨てさせた親父だ。当然の言葉だ。でも親父の様子が少し変だ。
眼にいっぱい涙を溜めている。僕は驚いた。いったいどうしたんだろう。親父は続けた。
「どうしても、そうしなあかん時はあるんや!わしもそんな時があったんや!」そう言うと溜まっていた涙がボロボロ流れ出した。
親父が泣いている。あの恐い親父が‥。
親父も幼い頃に心に傷を負う出来事が有ったのだろう。
その親父も今年の9月に86歳で他界した。
「わかった‥」僕はそれ以上何も言えずに実家を後にした。
家に帰るとamaguriさんが「どうやった?」と心配そうに聞いた。
「あかんわ、もうどうにもならんわ」そう言って僕は奥の部屋に座り込んでしまった。ふと横を見るとトシゾウが僕を見ている。僕はぐるーと部屋を見渡した。
仲良く舐めあっている、たくろうとみよ子がいる。ハンペイタもシンサクも。
猫を処分しなければ、この家を追い出される期限はせまっている。
「この子達はいったいどうなるんだろう?僕はどうしたらいいんだろう?」僕を見るトシゾウの無垢な目を見ていると自分の不甲斐なさに、溢れる涙を止める事もできない僕だった。

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20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その9)『大変だ!』
ある日僕が会社から帰ってきたらamaguriさんが慌てた様子でこう言った
「今日、大家さんが突然やってきて、今月いっぱいでこの家を出て行けというの」
「えーっ、なんで!」僕もこれにはビックリしてしまった。
「契約では猫を飼ってはいけないのに飼ってるからって」
「でも、隣も猫を飼ってるのに、うちだけ出て行けというのか?」
「そう、下の〇〇さんから大家さんに苦情がいったらしのよ。上で猫が走り回っているのを、子供さんがネズミが走ってるって怯えているらしくって」続けてamaguriさんはこう言った。
「猫を保健所に連れて行くか、捨てればこの家に居てもいいって」大家はなんて事言うんだろう。そんな事出来るわけない。
とにかく新しい家を探さなくては。
でも保母さんだったamaguriさんは妊娠して仕事を辞めている。今では僕の安月給で細々と暮らしている状態だ。とても新しい家を見つけるのは容易では無い。しかも沢山の猫ちゃん達も一緒だ。
僕たちは途方にくれた。
次回に続く‥
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その8)『みよ子の子供達』
子供達のお父さんはきっと野良猫だろう。生まれてきた子供達はたくろうの子供で無くて少し残念だけど、この子達に罪は無し。まっいいか。
僕たちは早速、この子達に名前を付けた。4匹とも男の子だ。
眼のきつい子は「リョウマ」
ボーとした感じの子は「トシゾウ」
少し女っぽい子は「ハンペイタ」
残りの子は「シンサク」
皆さんもお気づきのように幕末に活躍した有名人達にちなんで付けました。
みよ子は勿論、たくろうもこの子達をたいへん可愛がりました。子供達はすくすく育ち家族でみよ子が一番小さくなってしまいました。
残念な事に、ある日リョウマ君は外に遊びに行ったきり二度と帰ってきませんでした。
「きっと大志を抱き家を出て行ったんだなー」とamaguriさんと話しました。
僕が一番印象に残っているのはトシゾウ君です。身体はたくろうよりも大きく筋肉隆々でしたが4匹のうちで一番甘えん坊で、いつもみよ子の側にいて離れません。性格もおっとり、遊びも大好きでした。みよ子が先頭で子供を引きつれ、狭い家の端から端まで何回も往復して走り回ります。僕が階下の人の迷惑になるので、みんなを叱って止めさせても最後まで走り回っているのがみよ子とトシゾウ君親子でした。
そしてみよ子が走るのを止めても走っているのがトシゾウ君でした。そして最後に僕に丸めた新聞紙で頭を叩かれてやっと止まります。実に天真爛漫な子でした。
トシゾウ君は運動神経も猫としては少しにぶいようで、我家の狭い物干し場の手すりに寝ていて2階から下まで落ちた事があります。しかも懲りずに2回もです。
いくら身体が頑丈とはいえ怪我も無く、上機嫌で階段を上ってくるトシゾウ君を見ると思わず苦笑い。怒る気も失せてしまいます。
でもこの後、我家の猫ちゃん達に大変な事が起こるとは僕たちは思いもしませんでした。
次回に続く‥
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その7)『みよ子の出産』
気の強いみよ子はたくろうに、よくちょっかいをかける。今までは泣かされていたたくろうが遂にみよ子を体格で勝るようになった時たくろうの反撃が始まった。
いつもの様にみよ子はたくろうの頭を叩いていた。するとたくろうは
「もう今までの僕じゃないんだぞ!」と大きく雄叫びを上げてみよ子を追い掛け回した。遂に壁際に追い詰められたみよ子は、あまりにもたくろうの威圧感に圧倒されオシッコを漏らしてしまった。この時から我家のボスはたくろうになったのでした。
「あれ?みよ子のお腹、大きい事無い?」とamaguriさんが言った。
「本当だ、確かにお腹が大きくなってる!」僕はみよ子のお腹をさすりながら言った。
わりとスリムなみよ子のお腹がポッコリふくれていた。お腹は日に日に大きくなり触るとゴロゴロと赤ちゃんが動くのがわかった。
「いよいよみよ子もお母さんになるんやネ」とamaguriさん。‥と言っても僕たちは猫の出産に立ち会った経験が無い。どうしたらいいのか分からないのでとにかく押入れを少し片付けてダンボール箱を置き、中に毛布を敷いてそこにみよ子を寝かせた。
猫の出産の時あまりのぞいたりすると、お母さん猫が興奮して子猫を噛み殺す事があると、以前雑誌か何かで読んだことがあるのでみよ子から僕たちが直接見えないようにダンボールの前にカーテンを付けた。
いよいよ陣痛が始まったらしい。僕たちは出産の邪魔をしないように、そっとカーテンを閉め様とした時みよ子は意外な行動に出た。
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その6)『みよ子の武勇伝』
もうみよ子も一歳になるだろうか、時々外でも遊んでくるようになった。性格はかなりきつい。当時amaguriさんの女友達と3歳くらいの女の子が訊ねてきた時の事だ。その女の子がみよ子を見て
「かわいいー」と顔を近づけた瞬間、みよ子がその女の子の鼻を
カプッ!と噛んで離さない、その光景は僕の頭に今も鮮明に残っている。
女の子は鼻を噛まれたまま、驚いて固まっている。みよ子も噛んだまま身動きもしない。まるでスチール写真の一コマの様だ。

我に返った僕たちがみよ子を引き離し大事には至らなかった。さほど強く噛んでいなかったらしくて
「ごめんね、痛くなかった?」と女の子に聞くと
「痛く無かったよ」と言って笑ってくれたので僕たちもホットした。
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その5)『たくろうの好きな事』
みよ子は自分の周りをうろつく小さなたくろうがどうやら凄く気になるらしい。頭を叩いたり、抱きついて倒してみたりしてたくろうに何かとちょっかいをする。その度にたくろうは果敢にも反撃に出るが、悲しいかな少しお姉さんになったみよ子には全くかなわず防戦一方だ。
そんな小さな頃からたくろうが必ずする事がある。それはたくろうがおじいさんになっても欠かす事は無かった。
それは何かと言うと僕たちの指をオッパイの様に吸う事だ。小さい頃にお母さんから離された事もあるだろう。チュッチュ!チュッチュ!しかも1本では無い、調子が良ければ5本、反対側に回ってもう5本。さらに調子が良ければ他の人の指も吸いに行く。

だから当時は、お客さんが我家に泊まりに来た時は必ず
「寝ている時にたくろうが指をすいにくるかもしれないよ」と一応、注意をしていたぐらいだったがほとんどのお客さんが
「昨夜、たくろう君来ましたよ」と言って指を見せながら笑っていました。
ウイルマが天国に行きました。
今日10月20日に我家のねこちゃん達の最年長のウイルマが天国に行きました。
2~3日前にはいつものようにご飯を要求していて凄く元気だったのに、昨日の朝からガクンと元気が無くなり、水も食事も受け付けなくなりました。身体も硬くなり寝たきり状態になりました。
水や 流動食を与えましたがほとんど受け付けなくなりました。悪い事に今日はamaguriさんがヨーロッパに出発する日でした。僕はもうウイルマとは会えないだろうからお別れをするように言いました。amaguriさんは
「ミッフィもこの状態から助かったから‥‥」と言って少しの希望を持っているようでした。僕も仕事が有るので会社へ出勤しました。
会社から 帰るとウイルマは台所の片隅で息を引き取っていました。たった1日の事で臨終を看取ってやれなかったのが残念で可哀相でなりません。
小さいときから世話好きで、自分の後から生まれたねこちゃん達はウイルマに育てられたと言っていいくらいです。避妊手術をしたせいでウイルマには子供がいなかったので特に母性が強かったのでしょう。
ウイルマは僕達にも優しく、よくお話をします。話しかけると「ニャン、ニャン」と言って返事をします。
僕はウイルマの亡骸をさすりながら
「ありがとう、長い間ご苦労様」とお別れをしました。
1992年9月生まれ16歳の生涯でした。

ウイルマが赤ちゃんだった頃

ウイルマが赤ちゃんだった頃。右下はたくろう君

ウイルマとダイアナは姉妹。今はダイアナが最年長です凄く元気で
100年は生きるだろうとamaguriさんとよく話しています。
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その4)『たくろうがやってきた』
「母ちゃん、それ何してんの?」僕が子供の頃、母親が赤ちゃんネコのお尻を濡れた脱脂綿でツンツンと突いていたのを見た時の事です。
「こうしたら、ウンコが出てくるねん」
「ふーん」
「本当はネコの母ちゃんが全部なめて食べんねん」
「ウエー、気持ち悪ー!」
「そうしないとウンコが出なくて赤ちゃん、すぐ死んでまうよ」
「ふーん、そんなら母ちゃんはこの子の母ちゃんなんや」そう言って僕はいつまでもその様子を見ていた。

みよ子も自力ではウンコができない。見よう見まねで僕も濡れたティッシュでお尻を刺激してみた。するとしばらくしたら、みよ子は部屋の隅で「うーん」と一本細長いウンコを出した。
次はトイレのしつけだ。用意した砂の入ったトイレに連れて行ったが砂遊びをするばかりで一向にする気配が無い。結局また部屋の隅でオシッコをしてしまう。でも僕は慌てず騒がずそのお漏らししたオシッコをティッシュに滲みこませ猫砂に置いておいた。
次にみよ子がそわそわした時にトイレに連れて行った。今度は自分のオシッコの臭いが付いたティッシュに鼻をつけて、しきりに匂いを嗅いでいる。そのうちトイレにお尻を近づけてシュワーとオシッコをした。その後、みよ子は一度もトイレ以外ではお漏らしをする事は無かった。
そうこうしている間に3ヶ月がたった。みよ子もずいぶんとお姉さんぽくなってきた。
「みよ子にもそろそろ旦那さんをみつけてあげなっくちゃ」とamaguriさんが言った。
「チョット前、私のクラスの子が『先生、僕とこネコの赤ちゃんが産まれてん』といってたから聞いてみるわ」当時ある保育所の保母さんをしていたamaguriさんは早速その子の家に出かけていった。
しばらくして戻ってきたamaguriさんの胸に抱きかかえられてきた子ネコは、何と偶然にも、みよ子と同じ真っ黒な雄ネコだった。僕は早速この子に「たくろう」と付けた。
皆さんも何となく気が付いていると思いますが。「みよ子」は「浅田美代子」から「たくろう」は「吉田拓郎」からとりました。この後、二人が結婚したので僕たちは非常に驚いた記憶があります。
次回に続く‥
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その3 『みよ子の哺乳ビン』
僕たちはみよ子を家に連れて帰ると、早速ミルクを飲ませようと小さなお皿に牛乳を入れて、みよ子の前に置いてみた。
みよ子はお皿の牛乳に鼻を突っ込んで「ブシュッ!」とむせ返ってしまった。

「あれ?小さくてまだお皿で飲めないんだ」これは大変だ!。みよ子はまだ自力ではミルクを飲めない事に僕たちは今頃になって気づいたのだ。
これでは勿論普通の食べ物も無理に違いない。
「どうしょう、何とかミルクを飲ませないと‥」
「このままでは死んでしまう‥」僕たちは途方にくれた。
「そうだ!」僕は小さい頃、母親が赤ちゃんネコに脱脂綿に牛乳を含ませて飲ませていたのを思い出した。早速薬箱に入っていた脱脂綿に牛乳を含ませてみよ子に飲ませてみた。
「チューチュー」みよ子は美味しそうに飲んでくれた。でもこれでは十分な量を飲ますのは大変だ。
「amaguriさん、僕チョット薬局に行ってくるわ」
「どうして?」
「哺乳ビンを買ってくるねん。このままじゃ死んでまうわ」
「哺乳ビンって人間の?」
「うーん、ひよっとしたら動物用のが有るかもしれへんし、無かったら人間用でも買ってくるわ」そう言って僕は駅前の薬局まで自転車で哺乳ビンを買いに行った。
「ネコの赤ちゃん用の哺乳ビン有りますか?」と僕は薬局の主人に尋ねてみた。
「有りますよ」意外な返事だった。
「これですけど」と見せてくれたのが大小二つの乳首が付いた哺乳ビンだった。
「この小さい方がネコ用で、こっちの大きい方が犬用です」
「じゃあ、それください」僕は哺乳ビンを買って、また家まで急いで帰った。
「有ったよ、ネコの赤ちゃん用の哺乳ビンが」と言いながらamaguriさんに見せた。
「へー、有るんやこんな可愛い哺乳ビンが‥」と感心。
冷蔵庫から出した牛乳は冷たすぎるので少し温めてその哺乳ビンに入れた。そしてamaguriさんは、人間の赤ちゃんを抱くようにして、みよ子を抱きながら哺乳ビンの小さい方の乳首をみよ子の口に近づけてみた。するとみよ子は起用に「チューチュー」とミルクを飲み出した。

「可愛いーっ」「可愛いなー、もうこれで大丈夫や」amaguriさんの哺乳ビンを持つ手を抱きしめながら無心にミルクを飲むみよ子の姿に僕たちは、時の経つのを忘れて見ていた。
次回に続く‥
臨時掲載。ミッフィー重態から脱する!。
ここ一ヶ月ほど前からミッフィー(ミッフィーの紹介記事)が口の中の病気(口内炎、歯茎の病気その他併発)により痛みで口が閉じられず、舌も収められずよだれを出しっぱなし、食事や水はかろうじて少々食べれる程度。心配で獣医に連れて行きました。
最初は以前若い雄ねこ、チョービビリのツムジ君が同じような病気で医者に行った時は、2本の注射と飲み薬で一夜にして回復したので、そんなに心配しないで病院に連れて行きました。
年齢は15~6歳くらい(高齢です)。
きっとこの年齢が一夜にして回復したツムジ君との差が出たのでしょう。
ミッフィーは不良ママで野良猫生活も体験しているので、まずエイズとネコ白血病の検査。幸いにこれはクリアー。そしてステロイド注射とその他一本。そして水分補給の点滴。
さすがは不良ママ。ぐったりしていてもその時は大暴れ、注射器の針を曲げて抵抗。
これで治るかなと、1週間様子を見たが治る気配は無く、よだれに、目を覆いつくす目やに、鼻を塞がんばかりの鼻水、食事も水も摂らない、日に日に痩せていく。
「もう助からない‥」そんな心配をしながら再び獣医へ。
獣医曰く、「脱水状態ですね。口の中は相当ひどい状態です、外科的に治療するのは年齢的に無理、麻酔をかけること自体命の危険があります」
「とにかく内科的に出来る限りの治療をお願いします」と僕は言った。
獣医は点滴と注射2本、それとは別に太い注射器に何種類もの薬を入れたのを用意。
不良ママミッフィーは死にかけているのに抵抗は激しくまたまた注射針を曲げてしまった。10日分の飲み薬をもらい帰宅。
食事や水は全く飲めない。強制的に入れるしかない。一日の必要水分は200ccプラスよだれで体外に出た分。かなりな量だ。
15ccのスポイドでいやがるミッフィーに水を何回も飲ませた。
会社から帰るとすぐミッフィーの所へ「死んでるのか?」と思うぐらい横になってぐったりしている。さっそく水分補給と食事もかねて卵とミルクでミルクセーキを作ってスポイドで飲ます。時々白身の魚を擦って口に入れる。この頃はもう瞳孔も開いてきている。
「もう今週持たないかも‥」とamaguriさんと言って覚悟も決めていた。
ある日驚いたことにミッフィーが、皆が食べているお皿の前で、食べたそうな顔をして座っている。凄い生命力だ。
「まだ希望がある」僕たちはせっせとスポイドで、ミッフィーに水や手製の流動食や薬を飲ませ続けた。
それから2~3日たった頃、その甲斐あってか、ミッフィーが自力で水や食事を摂っているのを目撃!。ちょうどその日は、僕たちがもう死ぬかもしれないと思っていた頃だ。
「生きたい‥」、「生かせたい‥」に答えが出た瞬間だ。あきらめてはいけない。あきらめていたら今頃はミッフィーはこの世にいなかったかもしれない。
高齢なのでまだまだ安心は出来ませんが、今はネコ缶が開いた音を聞いて真っ先に駆けつけるミッフィーを見て「よかったね」と目を細める二人でした。

病気なんかに負けないわ!(まだチョット舌とよだれがでてます)
過去記事もどうぞ。
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20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その2 『僕の悲しい思い出』 )
20年間連れ添った黒猫夫婦の物語「いつも一緒、みよ子とたくろう物語」 (その1 『みよ子』 )
1974年冬。
その年の夏に結婚した僕たちはまだまだ新婚気分。二人で仲良く駅前のスーパーにお買い物。
我家は駅から歩いて15分位の文化住宅(共同トイレや風呂無しではなくて一応トイレと風呂が付いて文化的な生活が出来ると言う事で付いた関西独特の呼び方)駅までは徒歩で行く。
在るか無いか分からないほどの線を引いただけの歩道、その脇に流れる汚れた小川、ガードレールも何も無い。自動車はわがもの顔で僕たちの横をすれすれに走っていく。それでも僕たちには楽しいスーパーまでの道のりだった。
さー、やっと駅に着いたぞ。目指すスーパーは駅の反対側にある。今思えばそんなに大きなスーパーではなかったけれど、当時は見たことも無い大きさのお店だった。そこに行くだけで楽しかった事を思い出す。
バスのロータリーを過ぎると駅があり、そこの階段を上って行けばスーパーはすぐそこだ。僕たちがそのロータリーの入り口にさしかかったところ
「待ってくださーい!!」と口々に叫びながら6~7人の小学生が僕たちを取り囲んだ。
カナダ、ジャスパー国立公園。マリーン湖と空飛ぶマウンテンバイク(その7)
病院では年配の男性ドクターが「ブスッ!!」と私の腕に痛み止めの注射を打ってくれた。
それがすごく痛くて私は半分泣きだしそうになっていた。すると後ろにいた70歳くらいのおばあちゃんドクターがまるで小さい子を包み込むようにギュッと私を抱きしめて
「痛かったねー、もう大丈夫よ」と笑って言ってくれた。

50過ぎのおばさんも、おばあちゃんドクターにかかると子供のように見えたのかな?。でもおかげですごく気持が落ち着いた。
看護婦さんも皆親切で異国で遭った私に優しかった。
CTスキャンで全身検査。初めての経験だ。レントゲン室では色々な角度から全ての箇所をX線で撮り2時間程で全ての検査が終わった。
結果は少しの打撲で痛みは有るものの、骨にも身体的にも異常なし。後で痛み止めの薬とシップ薬を渡された。
「私って案外丈夫なんだなー」
明日はゆっくり休養をとれば、次の日から旅を続けても良いという許可も出た。
費用は自費でしめて7万3千円!!。
海外保険に入っていたので後日全額戻ってきたが旅行中の急な出費は痛かった。
でも私の不注意でおこした事故にもかかわらず旅行中に助けてくださった美人ドクターご夫妻、ユースのスタッフや私を病院に連れて行ってくれたユースのお客さん、親切な病院のスタッフ、そしてすごく心配をかけた友人Mさん、すべてに感謝の旅行体験でした。![]()
「みよ子とたくろう物語」をお送りします。お楽しみに。
カナダ、ジャスパー国立公園。マリーン湖と空飛ぶマウンテンバイク(その6)
ものすごい美人だ。年は35歳くらい。

(注)これはあくまでもjyoji-sanが勝手に想像したイメージです。へへ![]()
ご主人は救急隊員だという、私は何と言う幸運なんだろう。
お二人はイギリスからジャスパー国立公園に旅行に来ていて偶然この事故に遭遇し救助してくださったのだ。しかもご主人は友人Mさんと、私の壊れたマウンテンバイクを肩にかついで急な坂道を登って山中のユースホステルまで持っていってくださった。すごい怪力だ!。私達にとってその事は、いつまでも後の語り草になっていたほどだ。
彼女は赤い車に私達を乗せユースホステルへ急いで送ってくださり、色々とユースのスタッフに状況をを話してくれた。
その後ユースのお客さんがキャンピングカーで、私を町の病院に横に寝かせたまま運ぶ事が決まった。不注意で事故を起こした私に色々な人たちが協力してくださり、とても気の毒でもあり有り難かった。
時おり、私と仲良く遊んだワンちゃんが心配して私の顔をのぞきこんでる。
しばらくして私とMさんは、キャンピングカーで病院に送ってもらった。
到着したのは、かなり大きな病院だった。
次回最終回に続く‥
カナダ、ジャスパー国立公園。マリーン湖と空飛ぶマウンテンバイク(その5)
しばらくショック状態の続いていた私の前に、赤い車から降りてきた男女が近づいてきた。そして女の人が手際よく私の手首から脈をとり、目を指で開いて瞳孔の動きを見ている。かすかにぼんやりとそれが見えた。
「大丈夫、心配無いわ」
そう言って彼女は私を抱き起こし、友人Mさんに託して車の方に戻っていった。
私はお礼にせめて名前と住所を聞こうとMさんの肩を借りながら、彼女の車の方に歩いていった。すると突然意識がスーと遠のき、私はその場に座り込んでしまった。これで私の命も尽きるのかとさえ思われた。
彼女は私の身体を支え自分の車のシートに座らせてくれた。そして彼女は私に向かって
「八ッ!八ッ!八ッ!八ッ!」と呼吸をしながら、自分に合わせて呼吸するようにと言った。私も必死で
「八ッ!八ッ!八ッ!八ッ!」と後に続いた。そうしている間に随分と呼吸も楽になり、本当に有り難かった。

彼女は私の体の至る所を触診した。その様子に
「も、もしや、この人はお医者さん?‥」
そしてもうろうとした意識の中で、私は彼女に尋ねた。
「あなたは、ドクター?」すると彼女は
「イエス」と答えた。
次回に続く‥
カナダ、ジャスパー国立公園。マリーン湖と空飛ぶマウンテンバイク(その4) マー君、デコ君、プッちゃん思い出写真館。デコパパも出るよ。
しかし、一瞬私の脳裏に浮かんだのは機械体操でインターハイ団体5連覇を果した二人息子たちの厳しい練習風景だった。
5メートルの高さから2回宙返りや、後ろ向きに鉄棒を飛び越えるトカチェフなどの荒技をやっている際、猛スピードで降下するが、時には失敗して落下しマットに背中から叩きつけられる事がある。すると部員が掛けより手足を引っ張ていた。
「どうして、あんな事をしているの?」と息子に聞いたら、
「あれをしてもらうと、息がしやすくなるねん」と答えてくれた。
「そうだ!あれをしてもらったら、呼吸が楽になる!」
駆けつけた友人Mさんは私の身体を一生懸命さすってくれていた。でも呼吸は楽にならない。もう苦しくて声が出ない。私はかすかな声で
「手を、手を、引っ張って!!‥」と呼吸の確保をしようと叫ぼうとするがMさんの耳には届かない。
「何!?何言ってんのamaguriさん!!どうして欲しいの!?」もうMさんは私が死んでしまうと思ったらしく涙声になっていた。

その時には上り車線の車は全部止まっていて、この事故の様子をぼう然と見ていた。皆どうしていいのかわからないのだ。
その時である。
次回に続く‥
カナダ、ジャスパー国立公園。マリーン湖と空飛ぶマウンテンバイク(その3) 我が家のネコチャン紹介第三弾もあるよ。
急なカーブに対向車がどんどん現れはじめた。危険だ!。
私は後ろから来る友人Mさんにも歩調を合わせようとブレーキをかけたのだが、おろかにもとっさに前輪だけにブレーキをかけてしまったのだ。するとどうだろう、行き場を失った後輪がギューン!と猛烈な音を立てて回り、前輪とのバランスをとろうとして車体を大きく左右に揺さぶりだした。
もう私の手に負えなくなったその時、マウンテンバイクは何かの弾みで後輪が跳ね上がりだし、前輪もバランスを保てず地面を離れた。それは途方もなく長い時間に感じたが、おそらく一瞬の出来事だったのだろう。

マウンテンバイクは空中にたてに舞い上がり、私は相当な高さからアスファルトに叩きつけられた。しかも落ちた時右胸をハンドルで強打した。肋骨が折れた気がした。
もう息が出来ない。Mさんが真っ青になって駆けつけた。私は道路上で足をバタバタして、のた打ち回っていた。
私はこのまま窒息死してしまうと思った。
次回に続く‥
カナダ、ジャスパー国立公園。マリーン湖と空飛ぶマウンテンバイク(その2) 我が家のネコチャン紹介第二弾もあるよ。
私と友人Mさんはその日の夜キッチンで、サラダとスパゲッティを作って食べた。
バックパッカーズ(安価な料金で世界中を個人旅行する人々の総称。バックパックを背負って移動する事が多い事からそう呼ばれる。)は旅慣れている人たちなのでユースホステルでのキッチンの使い方もとてもきれいだし、手際よく料理を作って、その後もチリひとつ残さず片付けるのだ。
次の日の朝ユースホステルのマウンテンバイクを貸りて私たちはさっそうと
ジャスパーの町に向かってペダルをこいだ。
私は肩で風を切り、急な坂道を下っていく。
マウンテンバイクには、プリンスエドワード島でかなり慣れていたので私は猛スピードを出していた。後ろを見ると、Mさんも少し後ろに頑張って付いてきている。

坂道はかなり角度がきつく、マウンテンバイクの車輪の回るスピードが私のペダルをこぐスピードのそれを超えてきた。ペダルは空回り、あとはマウンテンバイク任せになってきた。
その時だ!忘れもしない、あの恐ろしい事故が起こったのは!。
次回に続く‥。
カナダ、ジャスパー国立公園。マリーン湖と空飛ぶマウンテンバイク(その1)プリンスエドワード島アボンリーの写真特集もあるよ。
カナディアン・ロッキー最大の国立公園。ジャスパー国立公園は氷河から流れ出したアサバスカ川とエメラルドグリーンのなめらかな湖面をたたえるマリーン湖がある。
そしてこの湖に浮かぶ小さな島は旅行会社のパンフレットに必ず登場するスピリット・アイランドだ。

ジャスパーに着いた私たちはウイスラーズ山のふもとにあるユースホステルに宿をとり、早速マリーン湖へ行った。ダウンタウンからシャトルバスが出ているので誰でも行き易い。

小さな島には針葉樹が生い茂り、その美しさを見るために観光客たちはマリーン湖でボートクルーズに参加する。90分で3500円くらいだ。
私とMさんはマリーン湖をカヌーで巡った。カヌーはとても安くてメチャメチャ楽しかった。


そしてまるでこの美しい風景を守るように湖を囲む雄大な山々はカナダディアンロッキーを代表する風景のひとつであり、これを見ずしてジャスパーは語れないだろう。
また湖周辺ではフィッシングもでき、一日たっぷり楽しむ事の出来る場所だ。

旅行者にとって安く、長期に旅行をするにはユースホステルをうまく利用する事が不可欠だ。
私たちが泊まったユースホステルには広々としたキッチンや食堂が有りシャトルバスが市内まで運んでくれる。人気のあるユースなので行かれる方は早めの予約が必要だ。


ここでは皆に、とてもよくなつく大型犬を飼っていて、私はこのワンちゃんと半日ぐらい遊んだ。
世界中の若者たちに愛されているこのワンちゃんは、リピーターの人達の顔見知りと見えて、ユースホステルに入ってくる人達はワンちゃんの名を呼びながら
「久しぶりだねぇ」と口々に彼の頭をなでた。
彼もまたバックパッカーズのお兄さんたちに、小躍りして飛びつきそれに答える。ユースのスタッフたちもキッチンの買い物をする時には必ず彼を車に乗せて行く。
雄大な山のふもとに暮らし皆に愛され本当に幸せなワンちゃんだ。
次回に続く‥。
カナダ。プリンスエドワード島 (マウンテンバイクで行く、アボンリーへの道)。ネコちゃん、ワンちゃんのセーター特集もあるよ!
私たちはマウンテンバイクで、アボンリー・キャベンディッシュ・シャーロットタウンと、赤毛のアンが走り回ったであろう場所を巡った。

赤毛のアンが名付けた「輝く湖水」





アンがマシュウやマリラと住んだ「グリーンゲイブルズ」の家
海のほうへ行くと切り立った赤茶けた崖があり雄大そのものだった。

R・Mモンゴメリーはここが大好きだったらしい。土手には松ぼっくりの実が沢山落ちていて、それを拾い集めた私たちは宿に帰って首飾りを作り少女に帰った。
「Mさん、すっごくよく似合うよ」
「amaguriさんこそ。アハハハ‥‥」二人は合わせて百十五歳。こんなに楽しい事は無い。

「赤毛のアン」?

「赤毛のアン」?と「赤毛のアン」??
頭にはヘルメット、足元をめくり上げたジーパン、背にはリュックをしょって、一日8時間~10時間マウンテンバイクで十日間ほど毎日走り回った。そうしているうちに地元の人達や長期滞在の旅行者にも顔を覚えられて、どこへ行っても車の中などから声をかけられ、ある若者たちはクラクションを鳴らして私たち日本のおばちゃんにエールを贈ってくれた。カナダの端っこまで苦労して来たかいがあった。

アンがギルバートと歩いたリンゴ並木「恋人の路」

マシュウがアンを初めて馬車に乗せて連れ帰った
「はるかに続くリンゴ並木」

アンと親友ダイアナが恐れて通った「お化けの森」

その後2人はカナダ中をバスで約1ヶ月間旅してまわった。
だが帰国数日を残して、マウンテンバイク好きの私に大変な事が起こってしまった。
次回へ 続く‥。
amaguriお手製。ワンちゃん、ネコちゃんセーターファッション特集
臨時掲載。我が家のネコちゃんの紹介です「マー君そこ邪魔なんだけど」
マー君(男の子)
チンチラシルバーのお父さん(デコ)と雑種の白猫(ミッフィ)の子供(もう、おじいさんです)。
名前は正嗣(まさつぐ・子供の友達の名前)通称マー君。
鳴き方が変わっていて「ニャー」ではなく「マークン、マークン」と鳴きます。
僕のモニターの上でよく寝ます。時々手やしっぽがモニターにたれさがってきます。

「マー君!チョッとお肉が邪魔なんだけど‥」

「何!、お肉が邪魔?」

「失礼な!」

おまけ写真

amaguriさんお手製のセーターを着てご機嫌の「マー君」。
マー君を踏みつけているのが兄弟の「デコ君」です。
過去記事もどうぞ。
泣く子も黙るスロバキア国境警備隊
スイートルームが大洪水!!
カナダ、ロッキー山脈のクマ騒動
恐怖のコンパートメント(スペインからイタリアへ)
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カナダ。プリンスエドワード島 (ルピナスの花とゴースト)
女性なら一度は読む本「赤毛のアン」
私はこの本を読み返し、少女時代に夢を膨らませ、 プリンスエドワード島へと友人Mさんと一緒に旅立った。
カナダは初めてだ。本に書いてある事はウソじゃない。
ルーシー・モード・モンゴメリーという人のこの島への愛情が伝わってくる。
島の隅々までルピナスの花で埋め尽くされ、土手や野原の人が目を向けない隙間でさえびっしりと小さな花が息吹いている。それも涼しい風に吹かれ、うちふるえるように可憐に咲いている。

この島は夏と言えども緯度は北海道より多少上なので、小さな花達はプルプル震えていて一層可愛い。

私たちはレイチェル・リンドさんの家が今はホテルになっているこの小さな宿に泊まった。

その日の深夜、なぜか私のベッドの足元に白いエプロン姿の大きな女の子が座っていた。彼女は熱心に何回も何回も
「帰らないで、帰らないで」と頼むのだった。
2500Nice記念。プレゼントイラストです。
カナダ、真夏のオーロラの街イエローナイフの永久凍土と永久無車検?(最終回)
バスは急にスピードを落とし信じられないくらい、のろりのろりと進んだ。
「どうしたんだろう?」と前を見ると何と、バイソンが道の真ん中を歩いているではないか。次にバイソンの群れが道路を横切ろうとしていた。ジェフは、その群れが横切るまでバスを止めて待っていた。
夜中だから真っ黒なバイソンは見えにくいだろうに彼は確実に止まった。
「えらいぞ!ジェフ」
止まったのは彼だけではない、フルスピードで走っていたトラックの運転手もそうだ。
私はその光景に1人で感動していた。
しばらくして、ジェフがトイレに行った時、私はさくらんぼを運転席に少し置いておいた。トイレから帰ったジェフをそっと見ると、彼は美味しそうに食べていた。
朝、誰かが私の肩をトントンとたたいた。
目を開けるとジェフであった。なぜわかったのか、彼は私に
「ありがとう」とお礼を言ってくれた。
ついでに私が勝手に付けたジェフという名は一体何だったのか?
彼の本当の名前は何て言うのだろうか?私はワクワクしながら、彼の名をたずねた。
すると彼はこう答えた。
「ジッ!ジェフ!?」
これには私も驚いた。
オーロラは見えなかったけれど、不思議でおかしな旅だった。
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カナダ、真夏のオーロラの街イエローナイフの永久凍土と永久無車検?(その3)
驚いたことに、私の正面には見覚えのあるヒビの入ったフロントガラス。 私はおかしくなってその運転手さんに『ジェフ』と勝手に名前を付け、メモに即興の歌を作って書きながら1人でクスクス笑っていた。 ♪イエローナイフの、のん気なジェフのバスはオンボロ、ボロボロだ。ガラスが割れても気にしない。それもそのはず永久凍土の永久無車検、ここはカナダの無法地帯♪。 カナダ政府が聞いたら腰を抜かしそうな歌詞を見た三千代ちゃんは涙を流して笑いころげた。彼女も全くそう思っていたらしい。 その時である。 過去記事もどうぞ。
何と!運転手さんも同じ顔。あれから4日も経っているのにフロントガラスはそのまんまだったのだ。

その夜バスの中ではジェフが眠気を払うためにオレンジをかじっていた。お客は全員グッスリ眠り動かない。ジェフは真っ暗な道を相当なスピードを上げて走っていた。
今回の更新は大変苦労しました。
改行も反映されず、文字に色を付けたら文字の大きさが変わってしまったり、プレビューを頻繁に使わないとイメージがつかめないし、そのプレビューが遅いし、結局図書館で借りたHTMLのタグ本とにらっめっ子こしながら何とかイメージ通りに完成しました。僕を含め多くの人がこの不親切なリニューアルに苦労しているのではないだろうか、と心配しています。







